例年のあわただしい師走に入りましたが、気忙しく走り回るのは師僧ではなく医師や看護師という人たちで、今年は極めて危機的で未体験な年になりました。

「禍福は糾える縄の如し」は禍(不幸)と福(幸福)は交互にやってくるという故事成語ですが、現在のコロナ禍の状況から来年を展望しても、一向に光明を見出すことは叶いそうにありません。

GoToキャンペーンでは、今秋より経済の活性化とコロナ感染拡大が同時発生し、迷い走り回るのは国民という一大騒動にもなっています。
歴史的観点から見ると、係る「禍」は何れワクチンも開発され、トラベルやイートの有り方は元の鞘に納まります。

しかし、人と住まいのあり方は次第にその様相を変えつつあるのではないでしょうか?
コロナ禍の中では、今後、社会生活を営むための「働き方」のリモート化が進み、より浸透していくものと思われるからです。
今までの通勤・通学のために一種のステータスでもあった、都市マンションや高級戸建住宅も存在意義を失い、次第に住まいを郊外や地方に移す動きが出てきています。
住まいとは単なる経済的な財産価値や利便性に裏付けされたものではありません。本来は人としての働き方を通して、生きる意義や長い人生を共有し合える文化的価値のある財産として、子孫代々継承されていくべきものではないでしょうか!

前回のブログで、欧州では代々住まいを受け継いでその度に工事し直していくので、古い家ほど価値が付いていくことを述べました。
リフォームだけだから多額の住宅ローンに長期間苦しめられることもありません。
有り余る資金でいろんな趣味や嗜好をたしなむことで、奥深い人生の豊かな機微に触れることもできます。

日本はその逆で全国の多くの空き家は大きな住宅問題となっています。
また、コロナ禍における外出自粛要請の際も、短期間ですら自宅にこもるストレスに耐えがたく、住まいに対する民度が他国より貧弱であるかもしれない可能性を述べてきました。

今まで日本の住まいは、国策でもあった一時機からのスクラップ&ビルドで大きな経済的飛躍を成し遂げてきました。 でもそれは親が必死で築き、子や孫の各代で壊しまた築くという「積み木くずし」の愚行が経済成長率を押し上げて来たからで、私たち日本人の悲哀でもあるような気がします。

新型コロナウイルスは例え封じこめても、人類の歴史は新たなウイルスとの永遠な戦いでもあります。
今回の地球的規模のウイルスは人類との戦いでもありますが、私たち日本人が自然との調和で共に賢く生き抜く新しい価値を真に住まいに求めることが出来れば、それがやがて訪れる「福」なのかもしれません。